日本最北端の百名山「利尻富士」・最北の島「礼文島」を歩く |
松 井 伸 夫 |
日本百名山の中で最北端に位置する「利尻山」に念願が叶って登ることが出来た。三年前に「利尻島」を一周しながら見上げた「利尻山」を自分の足で頂上を極めることができた。 7月1日(木)晴れ 15名が乗り込んだANA16便は伊丹空港を離陸(8:01)、羽田空港(8:55) 着陸、乗り継ぎ通路を通って67B搭乗口へ、ANA571便に乗り込んで羽田空港を離陸した(10:01)。雲海を突き抜けて真っ青な空に出ると、雪を被った山々が所々に見えた。 飛行機は再び雲の中に突入して稚内空港に着陸した(11:28)。荷物を受け取り出迎えの2台のジャンボタクシーに分乗して宗谷岬観光に出発 (11:54) 。どこまでも続く広大な宗谷丘陵は国内で最大規模の放牧場だ。周氷河地形のあちこちに宗谷黒牛が放牧され、風に乗ってほのかにそれらしい臭いが流れてきた。あらためてデッカイゾー北海道を実感した瞬間だ。 昼食は日本最北端の海を見下ろすレストランで今回初めて北海道の「ミニウニ丼」を食べた。食後は宗谷岬平和公園で「旧海軍望楼」に上る、坂を下って「日本最北端の地の碑」の前で記念撮影、「日本最北端到着証明」(10.07.01 13:29) を購入した、流氷館内は(-10.6度) 宗谷岬を後にして稚内に戻り小高い丘の市街地を一望出来る「稚内公園」へ「南極観測樺太犬訓練記念碑」「九人の乙女の碑」そして稚内のシンボル「氷雪の門」は樺太島民の思いがこもった慰霊碑があった。ジャンボタクシーの契約時間が過ぎて稚内港に戻ってきた。 北市場で頼まれていたお土産(利尻昆布)を購入してハートランドフェリーに乗り込み稚内港を出港する(16:05)。
鴛泊港(17:45) に到着、歩いてすぐの「和風ペンションみさき」に荷物を置いてすぐ裏の「ペシ岬」へ全員で登った。鴛泊港から見えていたクジラの形をした緑の岬の北側は断崖絶壁で海鳥の繫殖地の様で断崖は鳥の糞で真っ白くなっていた。「ペシ岬」には立派な一等三角点(93.2m)が、そして「鴛泊燈台」のプレートには(初点明治25年11月・改築昭和28年7月)と刻んであった。少し汗をかいて「和風ペンションみさき」に戻り夕食後は明日に備えて準備を済ませ早々に床に入る。 7月2日(金)くもり 起床(3:45) 、第一斑は宿の主人に車で送ってもらい出発した(4:42)。 北麓野営場(3合目)から登山口には外来植物の移入を防ぐ為の靴洗い場が設置されていた。20分程で「甘露泉水」に到着、空のボトルにおいしい水を充填し二班の到着を待ってスタートする(5:21)。 ポン山分岐から針葉樹林帯がつづき(4合目)、(5合目)を過ぎて大きな岩の傍であのいつも元気な Iさんが座り込んでいて熱がありそうで苦しそう、奥さんも追いついて来て3人でゆっくりと第一見晴らし台(6合目)に着いた(7:00)。 燃料切れだったかペンションで受け取ったにぎりめしで元気を取り戻した
Iさんを前に出して出発(7:10)、ここからは灌木帯に変わり展望も良くなってきて、七曲(7合目)に(7:35)、第二見晴らし台に(8:20)、「利尻山」まだ見えない、しかし右側にはくっきりと青空と緑の稜線が見える。 長官山(8合目)(8:50)、ロープを跨いで一等三角点(1218m)にタッチ、ようやく「利尻山」が姿を現した。見上げると頂上は雲の上だ、記念写真を撮って出発、避難小屋のWCブースで携帯トイレに用を済ませる(9:16~25)。ここからは会長夫妻から先に行くように言われて先行組を追った。 「9合目ここからが正念場」と書かれた立て札を見て一息入れた後、頂上をめざして登りだした(9:50)、茶褐色の細かい岩屑で足が滑りとても登りづらい、ロープを頼りにゆっくりとゆっくりと登る。沓形分岐(10:19)、みんな必死にロープにすがりながら登る。今回は今までの中で特に厳しさを実感した山だと思う、ついに「利尻山・北峰」に到達した(10:38)。 頂上は一面のガスで視界はゼロだ、山頂神社前でにぎりめしの昼食を食べかけた時少し遅れて会長達も到達した。奥さんと
Iさんは残念したらしく姿が見えない、13人で記念写真を撮って狭い頂上を後にした(11:06)。 心配していた下山も無事(4合目)に到着(14:23)、さすがに疲れて「ポン山」にはSさんYさんと3人で向かった。「大ポン山」に (15:19)、「利尻山」の頂上は雲がかかっていて残念ながら見えない、そうするうちに諦めたはずのメンバーが登ってきた。さすが「山歩楽会」の精鋭達だ、頼もしい限り、「大ポン山」に来てよかったと満足して下山した。スタート地点、北麓野営場に戻り(15:55)、ペンションの主人に迎えに来てもらい「ペンションみさき」に帰ってきた。(16:15) 7月3日(土)くもり 起床(6:00)、朝食(7:00)、ペンションの主人にお礼の挨拶をしてみんなで歩いて鴛泊港に向かう、昨日登った「利尻富士」が雲間に見え隠れしていた。 鴛泊港(9:30)出港のフェリーに乗船し利尻島にお別れ、40分で礼文島・香深港に着いた(10:10)、荷物を引き取りに来る筈の車が見つからない、やってきた民宿・香栄丸の車に荷物を積み込んでスコトン岬行きのバスに乗り込み出発(10:53)、バスは東海岸を約1時間走り「スコトン岬」に (11:52)、礼文島最北端・「スコトン岬」は観光バスも着いていて少し賑やかだった。 昼食はトド島に最も近い文字通り「最北端の地」でペンションが用意してくれたおむすびで腹こしらえをした、ここでずーと行動を共にしていた大阪堺市のKさんにおむすび等をプレゼント、立派なカメラや双眼鏡を覗かせて貰う、そしてトド島に続く岩の上に一頭のアザラシを見ることが出来た。 最北限のトイレにも入り「スコトン岬」から浜中まで四時間コースのトレッキングに出発する(12:35)、須古頓神社の鳥居を右に見て須古頓集落を通過、八時間・四時間コースを右にとり鮑古丹の海岸を歩く、急な舗装道路を上り尾根コースと合流するところから右に入ればそこから先は一面の緑で人一人しか歩けない一本の道が「ゴロタ岬」へと続いている。 澄み切った青い海、「スコトン岬」が遠く右手に見える、海から吹きあげる心地よい風に帽子が飛ばされそうだ、振り返ればなだらかな緑のスロープの中を15人の列が続いている、最北端の島「礼文島」を今、確かにこの足で歩いている実感が湧いてきた。最後の階段を上がって海抜180mの「ゴロタ岬」に到達した(13:30)、断崖絶壁の岩山が西側にせり出したところ、柵に囲まれた先端で記念撮影、風が強く狭い場所なので長くはおれない、右手に澄んだ海岸線を見下ろしながら海から吹き上げてくる強い風に帽子を押さえながら、緑の中のスロープを下り上りかえして歩く、階段を下るとゴロタ浜だ。風が全く無くなった、2000m級の色々な高山植物が咲く海岸を歩き鉄府の手前で老人の家の前で「穴あき貝」が目に入った、耳が遠くて応答が出来なかったがこの浜で拾ったものとの事だった。 ショートカットをして木の階段を上り三角点を探して歩く、地図にある処に入る道が見当たらない、「レブンアツモリソウ群生地」で管理人?尋ねたところ態度の悪いその人からは三角点に入る事は出来ないと言われ諦めることにした、全員が揃いバスの時間まで大休止(14:50~15:21)、「レブンアツモリソウ」の残骸をカメラに収め、浜中から一駅先のバス停の礼文町国民健康保険船舶診療所まで歩き宗谷バスに乗り込んで宿舎へ(16:33)、バスは今夜の宿舎「民宿・香栄丸」の前で停車(17:17)、皆で荷物を置いて昨年に出来たと聞いた礼文島温泉「うすゆきの湯」でゆっくりと汗を流した後、夕食は毛ガニとの格闘で一日が終わった。 7月4日(日)くもり 起床(6:00)、朝食(7:00)、民宿の人にお礼の挨拶をして、宿舎を後にする(8:00)、ゆっくりと歩いて香深港へ買い残したみやげを買う人もいて「礼文島」に別れる時が来た。 香深港(8:45)出港のフェリーで「礼文島」を後にする、岸壁ではユースホステルの若者たちが大声で見送っていた、船の別れには何とも言えぬ情緒があって大好きな時間である。 フェリーは「利尻島」に寄港しない「稚内港」への直行便で約2時間の航海を終えて「稚内港」に戻ってきた(10:40)、空港行きのバスに乗り込んで出発(10:55)、稚内空港に着き時間がなくて昼食のパンとお茶を購入してANA572便に乗り込んで稚内空港を離陸(12:32)。 羽田空港(14:10) 着陸・ANA31便で離陸(15:21)、あっと言う間に飛行機は伊丹空港に着陸(16:03)、空港出口に出迎えに来たお孫さん達を見たとたん、あの厳しい山を登って来た姿は消えておばあちゃんの穏やかな顔になったのが印象的だった。 初めての三泊四日の今回、益々たくましくなった仲間のみなさんと一緒に歩けたことと 細かくお世話をして頂いた会長夫妻に心から感謝します、ありがとうございました。 (2010年7月
登山日記より) |
日本列島雨の中、稚内、利尻、礼文だけが四日間、晴曇りのお天気で、 全行程、皆さんと楽しく心を一つにして、最高に美味しかったウニも 沢山戴き、利尻、礼文島を満喫することができました。 山歩楽会から最南端の屋久島・宮之浦岳、今回の最北端の利尻富士、 100名山の1番と100番が登頂でき感無量です。 これも“山歩楽の精神”そのものの賜物と心から嬉しく思ってます。 有難うございました。 (吉田 松子さん)より |
一昨年、昨年と屋久島へのハイクを終え、“次の希望は北海道ですね”と皆で口にしていましたが、本当に行けるだろうか、と案じていました。それが今年の会長さんから『レブンアツモリソウ』の賀状、これはひょっとして、もしや・・・と思いつつ春には決定、乗り遅れまいとすぐに申し込み光陰矢の如しで、あっという間に7月1日が到来です。 午前8時前に伊丹空港を離陸、羽田空港を経て稚内空港に到着したのが11時半過ぎ、足が地に着いていない様な気持ちでした。すぐにジャンボタクシー2台に分乗して宗谷岬観光に出発。流石に観光客慣れしている運転手さんは口も滑らかに説明してくださる。稚内港のシンボル、巨大な427mもある北防波堤ドーム。沿岸の道路脇には紅色のハマナスや大きなエゾニュウ、オオイタドリ、エゾカンゾウ、オレンジ色のエゾスカシユリ、そして信号もなく延々と続く道路。車から降りて風景を楽しむ目前には笹の間からハクサンチドリがあちこちに咲いている。 走るにつれて広大な宗谷丘陵が現れ、国内最大という放牧場が広がり、黒牛が霧の間から点々と見え、絵本で見るような赤い屋根の牛舎も見える。そして57基の風力発電の風車が立ち並ぶ壮大な風景、憧れの北海道へ遂に来たんだ、という感じがしました。アルメリア(ハマカンザシ)や黄色のオダマキが咲いている高台のレストランで昼食。 最北端の地の碑の前で“1+1=2−”、最北端到着証明を受けて稚内公園を経て港に戻り、フェリーに乗船、利尻の鴛泊港に5時45分着。利尻富士の裾野が広がる素晴らしい眺めに逸る気持ちを抑えて、お宿の「ペンションみさき」に向かいました。 夕食まで少し時間があるので部屋に荷物を置いて灯台の建つ裏山のペシ岬(93.2m)に、驚いたことに一等三角点があり感激しながらタッチ。会津藩士の碑に手を合わせ、下りてきたフォトギャラリーのまえ庭には茎の長い黄色の花々やミヤマオダマキ、リシリヒナゲシ、レブンウスユキソウ、シコタンハコベ、レブンソウ、キンポウゲ、チシマフウロ、イワベンケイ等などが・・・、初めての花にウルウル気分。道端にはルピナスや名も知らぬ美しいピンクの花々が雑草の如く咲き乱れていました。 入浴後は待ちわびた夕食、ホッケの煮付やウニ、ミズタコのお造りなど食べきれない程のご馳走でした。携帯トイレを購入し明日の用意をして就寝。この日は1万2千294歩、ウミネコの鳴き声がしていました。 ――――――――――――靴底を洗って歩きだす―――――――――――― 2日目は3時半に起床、朝食のオムスビを部屋で頂き、5時前から2班に分けて北麓野営場まで宿のご主人が送ってくださり、いよいよ日本百名山第1番目の秀峰、利尻岳を目指すことに。先ずは心身ともに引き締めての初体験“利尻山の特異な生態系を守るため、異種を持ち込まないように金網の上を流れる水で靴底を洗って”の指示を受けて入山、歩を進めました。ヨツバヒヨドリやリシリアザミ、ツルアジサイが見られ、3合目の甘露泉の手前でカラフトイチヤクソウの可憐な花姿を目にして思わずパチリ、美味しい水を補給して全員揃って5時10分過ぎに出発。ポン山分岐から6合目の第1見晴台を目指しました。最初のうちこそ傾斜も緩く、樹林帯で爽風もあり元気、元気・・・と歩いていましたが、だんだんと大小の石ころや岩のようなゴロゴロ道となってきました。道脇にはお花の終わったツバメオモトやエンレイソウ、エゾノシシウド、エゾノヨツバムグラ、ベニバナノコギリソウ、シュムシマノコギリソウ、シモツケソウが力を与えてくれるよう。 第1見晴台には目標通り7時前に着きました。快晴で雲海が広がり、天上人のような心持。長官山の頂上も見え、気も逸りました。木蔭も少なくなりマイヅルソウやゴゼンタチバナ、ハイオトギリ、エゾカワラナデシコ、ミヤマアズマギク、キバナノコハンツメ、エゾツツジ、バイケイソウ、エゾノツガサクラ、エゾイブキトラノオ、リシリオウギ等など目が離せない花々です。 ――――――――――――ついに百名山の1番に登頂―――――――――――― 8合目の長官山には9時過ぎに到着。「三角点の女王」の呼び名のあるYさんが見事に一等三角点を探して、一同ニッコリ記念写真。そして頂上に向かって出発。山頂が見えそうで見えない。 積雪の所もあり、避難小屋を過ぎシラゲキクバクワガタ、ウコンウツギ、イワギキョウ、ボタンキンバイなど。カメラを構えている間に徐々に遅れ、足場の悪い急斜面や下山の人達との交差で、さらに足元の不安定な砂場もあり、ようやく1719mの北峰に無事に着き感無量でした。11時少し前で山頂の神社に御礼とこの後の無事を祈願。文字通りの神頼みです。先着組は昼食も終える頃、ほっとしながらオムスビを頬張りました。会長さんたちも着かれて早速、喜びの弾けるような声で“1+1=2−”最高の声でした。 先着組は下山を開始。遅組の私達4人も神社の前で“ハイポーズ”です。11時30分私達も下山。会長さんが上手くコースを決めてくださり、思ったより楽に下りることができました。途中で2人組とも合流、ゆっくりフラワーウォッチングを楽しみながら要所で4、5回休憩。ガスが晴れて雄大な眺望を目の前にしていると、過日亡くなったSさんの顔が浮かび“来たかったのね”と思わず声に出していました。暫くは山での対話が続きそうです。 こんなにも登ってきたのかと思う程の長い長い下りでしたか、優しい花々に元気づけられ4時半過ぎに登山口まで帰ってきました。迎えの車が来るまで人馴れしたカラスと遊んだり、身体を解したり、心配したほど身体はボロボロではなく、登ることができた喜びがしみじみと湧いてきました。万歩計は意外に少なく2万4千279歩でした。お宿のご主人は先陣組がポン山も往復して4時前に下山して来たのに驚いて折られました。すぐ入浴して夕食。おかわりする程とても美味しく頂き部屋に戻りました。 翌朝、雲が晴れて利尻岳の頂上まで見え、同室の I さん“素晴らしいラッキーね”とカメラに収めました。朝食後、皆でフォトギャラリーまで行き、久し振りのモーニングコーヒーを楽しみました。 宿のご主人夫妻に別れを告げ9時30分発のフェリーで礼文島に向かいました。日本最北端の離島で此処から眺める利尻岳が絶景とか。40分ほどで礼文島の香深港に到着。余分な荷物は宿の車に預け、バスに乗車。1時間余りで最北端のスコトン岬に。 ――――――――――――花の浮島・礼文島でした―――――――――――― 右手は海、左側の丘はエゾニュウやエゾカンゾウ等たくさんの花々が、ずっと咲き乱れ「花の浮島」と呼ばれる所以だと納得。海を見ながら昼食タイム、海草の上で遊ぶアザラシも見えました。そして記念撮影です。利尻から一緒になることが度々あった堺の方が、これも何かの御縁とばかり“写しましょう”と大きなカメラでパチリ。“お元気でね・・・”とお別れして、私達はいくつかあるコースのスコトン岬〜澄海岬〜浜中までの4時間コースハイクに出発。 舗道沿いには堂々としたレブンシオガマやシシウドが風に揺れ、民家の周りにも丘陵からゴロタ岬への道も花でいっぱいでした。チシマゲンゲらしき花もありました。結構きつい登りが続いたゴロタ岬も着いてみれば、海の水も美しく広々と気分爽快でした。丘陵からゴロタ浜の方に下り、途中でバスの時刻に間に合わないかも・・・とのことでコース変更。レブンアツモリソウの群生地は花も終わり6月25日で閉園ということで垣根の外からでも・・・と花が茶色くなった姿をせめてもの慰めにパチリ。近くに気高く凛とした白いエゾチドリが咲いており、その花姿に惹かれてカメラを向けました。 風も冷たくなり霧も出てきたようなので浜中に向い、バスを待つ間、病院前のバス停の横にはクローバーが群生しており、四つ葉はないかなぁー、と見ているとありました。1本だけですが嬉しくなり大きな石の上に置いてパチリ。袋に入れて持ち帰ることにとました。 バスはお宿の前で停車、近くの温泉に直行、ゆっくり汗を流し温もりました。夕食も豪華、話も弾み最後の夜を惜しみながら頂きました。この日は2万1千67歩でした。3日間天候に恵まれ本当に有難かったです。 4日目、お宿にお別れして8時45分のフェリーで約2時間、稚内港に着き空港に向い、機上の人となりました。4時過ぎ一同元気で伊丹に到着。終わってみれば名残惜しくもあり、期待以上に素晴らしく楽しかった4日間でした。山頂や港で出逢ったオーストラリアの方達と交流できたり、いろんな縁がありました。そして私には百名山のNO1とNO100を征服できた事は奇跡に近い事、とてつもない程の喜びです。日常生活に戻るのに少しだけ時間がかかりそうです。 企画を練り、いろいろとお世話をくださった会長ご夫妻に感謝とお礼を申しあげます。そしてお仲間の皆様や快く送り出してくれた家族にも有難う、の気持ちでいっぱいです。 |