影媛(かげひめ)伝説

五世紀末、ひとりの美女をめぐって二人の男が争った悲劇を『日本書紀』は伝えています。女は物部氏の娘、影媛。争ったのはときの皇太子(のちの武烈天皇)と、朝廷の権力者だった平群の真鳥の臣の子、鮪(しび)でした。

 

 海榴市の歌垣で、すでに影媛の心は鮪のもので自分の意のままにならないと知った皇太子は、大伴金村に命じて鮪を平城山で殺し、さらに真鳥をも攻め滅ぼしてしまいます。

 

恋人の身を案じて北へ向かった影媛は、愛する男の無惨な死を目にし、泣きながら歌います。

 

石の上布留を過ぎて こも枕高橋過ぎ

物の多さはに大宅過ぎ 春日を過ぎ

妻隠る小佐保を過ぎ (中略)も

泣きそぼち行くも 影媛あはれ

 

海柘柑市から布留、大宅、春日から平城山へ・・・。影媛がたどったこの道こそ、古代の山の辺の道だったと思われます。和爾に下した神社の境内には、日本書紀のこの一節を記した石碑が建てられています。